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FRONTLINE|「食と農のミライ」はどうなる?経済学視点で考える、食料安全保障と気候変動対策

SUMMARY
・「食べる」という消費行為の特殊性
・食料自給率を高めることと、「安くておいしい食卓」は必ずしも両立しない
・食料と農業の問題は何なのか?
・30年後のために、今から変革を
・持続可能な食料システムに向けた多面的アプローチ

「食べる」という消費行為の特殊性

稲垣 三菱総合研究所(MRI)の食農分野社会課題解決検討チームは、2021年4月から、特に「国内の農業生産力の維持確保」や「グローバルのフードシステムの環境対応」といったテーマに注目して検討を続けてきています(FRONTLINE「食と農のミライ—変革に向けたMRIのアプローチ」参照)。その中で、「食料」という誰にとっても極めて身近なもの(経済学的にいえば「財」)であるが故の、難しさ、誤解や理解不足に日々、直面しています。

下川先生は、ご著書『食べる経済学』などで、消費財の中での「食料」という財の特殊性からひも解いて、農業や食料に関する本質的な課題に切り込んでいらっしゃいます。

下川 食が抱える課題は、食文化をはじめイデオロギー的に語られがちで、経済学とはうまくブリッジできていないのではないか、という問題意識がありました。経済学の観点では、食料品という「財」は人間が生きるための必需品であり、かつ体内に取り込む量には限度があるという特性から、いわゆる「需要」の有様や「需要と供給」の関係が、その他の「財」とは異なるのです。そのため他の「財」とは分析の視点を変えるべきであると解説したのが『食べる経済学』です。

下川 哲 早稲田大学政治経済学術院 准教授

稲垣 経済学的に需要供給の関係をとらえると、「食料は価格弾力性が低い」といわれます。要するに、「値段が高くなっても安くなっても、あまり需要量は変わらない」けれど、逆に「供給量が少し変わるだけで、価格が大きく変動する」という特性があります(コラム 食と農のミライ「食料価格はなぜあげられない」参照)

下川 食料の価格弾力性が小さい根本的理由は、「人間の食べられる量が限られている」からです。お金持ちになって車を複数買うことはできますが、食べる量を何倍にも増やすことはできません。
 
そして、生産側に目を向けると、「工業製品のように、柔軟に生産量を変動させられない」のが農業です。植物工場などで採算がとれる食料はまだまだ限られています。生きるために最も必要な穀物は、広大な土地と水、それに生育のための時間を必要としており、どんなに技術が発展しても自然資源に大きく影響せざるを得ない、という特性があります。

食料自給率を高めることと、「安くておいしい食卓」は必ずしも両立しない

久保田 そうした財としての特性を前提とした上で、下川先生の「市場」の重要性、特に「国際的な取引によって、安くて豊かな食が実現できている」というご指摘と、「自給率100%を目指した場合にどのような食卓になるのか」という思考実験が印象的です。

下川 私はコーヒーが好きなのですが、国内自給できるものだけで食料を賄おうとしたら、コーヒーはほぼ飲めなくなるでしょう。チョコレートも、アボカドも、ごま、唐辛子、ハチミツなどもほぼ食べられなくなります。
 
自給率100%の実現にあたってそれ以上に課題となるのは、小麦や大豆などの輸入に依存している主要な穀物類を国内生産することができるのか、という点です。例えば、小麦は約650万トンの需要のうち、その8割を輸入していますが、これを国内で生産にするには、ざっと120万haの農地が必要になります。現状の農地が全体で約430万haですので、不可能ではないかもしれませんが、かなりチャレンジングなことです。
 
そもそも日本の気候は稲作に比べて小麦生産にあまり向いていない上に、小麦を作る分、さまざまな作物の作付けをあきらめなくてはならなくなるでしょう。結果として、穀物も野菜も、今よりも格段に高くなることが予想されます。

久保田 さらにいえば、それだけの犠牲をはらって小麦の自給率を100%近くに高めたとしても、食料安全保障的に本当に効果があるのかということをよく考える必要があると思います。
 
「日本国内で食料自給率ちょうど100%」というのは、ある意味、貿易のない江戸時代に戻るようなものですよね。干ばつなどの気候変動のリスクを考えると、実は、食料安全保障上のリスクはむしろ高まるのではないか、と思います。

久保田孝英 ビジネスコンサルティング本部 産業戦略コンサルティンググループ

下川 現代の先進国において「安くておいしいものを食べられる」のは、地球規模での市場の発展とそれに伴う分業の進展があったから実現可能になったのは間違いありません。
 
例えば、オーストラリアと日本では、国民1人当たりの農地面積に480倍の開きがあります(牧草地などを除いて、作物を耕作している農地だけに限っても42倍の開きがある)。つまり、日本は主食穀物類を生産する、という点では、主要先進穀物輸出国との比較において、技術や努力では到底埋められないほどの自然条件の差があるわけです。基本的には日本では自給するよりも食料を輸入したほうが安く手に入るわけで、その分、日本が得意な工業製品などの生産に注力した方が無駄なく資源を活用でき、非常に大きな経済的なメリットを得られるわけです。
 
他方で、食料システムの国際的な分業が進展したことによって、「食料生産の現場を多くの人がリアリティをもって、とらえられない」という問題があるのではないか、と思います。例えば、農地整備を含め、食料生産には非常に時間がかかることが理解されていないのですね。「土に種をまけば植物は育つ」と思っている人もいますが、それだけで普段食べているようなおいしい農作物が育つわけではありません。

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この記事は、公式サイト「FRONTLINE」の前半転載です。

編集:グループ広報部